繰り返される問い:アイネクライネナハトムジーク

同じ問いが世代を超えて繰り返されている。
私はここにひどく感動してしまった。
人間は同じことを繰り返しているのかもしれない。
しかし、その繰り返しは人によって少しづつ異なる。
そこからそれぞれの世界が生まれていく。

「出会ったあとしばらくして、この人に出会えたと思えるような関係がいい」という素朴な答えが妥当かどうか登場人物たちが考えを巡らすのである。
なぜだろう、人間が懸命に素朴な問題について考えそれを言葉にしようとする瞬間が私には非常に尊く思える。

人に伝えようとする行為自体尊いのだろうか。
一生懸命考え抜いて出した答えは現時点での彼の世界の見え方である。
それは是非とも尊重したい。
なぜなら、そこに悪意は存在しないと思うから。
素朴な疑問を素朴に考え抜くこと。
日常について考え抜くことは私を感動させる。

自分が悩んでいるから他の人も日常について考え抜くと安心するのだろうか。
とにかく、素朴な疑問を共有できたとき、それは繋がり合えた実感がするのだろう。
私たちはちっぽけな存在でちっぽけなことに悩んでいる同じ人間だと思うことができるからという気がする。
連帯感が生まれるのかも。

『水中の哲学者たち』でも、私たちは同じ海の中でそれぞれが思考をめぐらせているという比喩があった。みんなそれぞれ別の人間。しかし、海というところに漂いながら日々を生きている。違うように見えて、共通するところがある。
あの文は印象に残っている。


アイネクライネナハトムジークは現世を優しく肯定する映画であった。
不器用でも、口下手でも、仕事がうまくいかなくてもいい。
そんな風に言っているような映画だった。

また、場所と斉藤さんが変わらず、登場人物だけが変化していたのもこの映画の優れた演出だと思う。
この演出のおかげで人間の儚さを感じることもできた。
今という瞬間は本当に今しかないのだと改めて教えられた。
時が違えば、そこで起こる出来事も違う。
偶然から生まれたいろんなしがらみが人生に影響を与える。
偶然が全面に出ていて、それに対して登場人物たちがそれぞれぼんやりと考えていて穏やかだった。

こうするべきだという主題がなく、心の隙間にすっと入ってくる作品だった。
同じ問いが世代を超えて繰り返される。
私たち人間はいつまでたっても、どれだけ文明が発展しても、つまらないちっぽけなことで悩み続けるのである。
そして、劇的な出来事を夢見る。
しかし、劇的なことなんて滅多に起こらない。
劇的なことはひたすら日常を重ねる先にある。
ゆっくりと物事は変わる。

ぬめっとした日常がひたすら続き、好きってなんだろうとこれから何回も考えてしまうのだろう。

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