今日は博士と狂人という映画を見た。この作品はオックスフォード英英辞典の編纂過程を描いた作品。
これだけきくと退屈に思われるかも。しかし、実はこの編纂の過程に殺人犯が絡んでいる。オックスフォード大学という権威の塊みたいなところの辞書の編纂に殺人犯が関わっていることなど当然大学の品位に関わるため、上層部は隠そうとする。しかし、スコットランドの仕立て屋から類まれな語学の才能により、オックスフォードで辞書の編纂責任者になったマリー博士は殺人犯である外科医のマイナー博士を必死に助けようとする。
一方で、マイナー博士は殺人の罪悪感からどんどん精神的に崩れていきます。しかし、辞書の編纂にボランティアという形で獄中から参加することを決意する。そこから、辞書の編纂は劇的に進むのだが、、、
という内容。
言葉とは何か、人間のわからなさ、人を思いやる心の強さというものを感じさせられた。さらに、一人の人間ができることの小ささを思い知る。本当にこれは最近ひしひしと感じていること。一人のできることは限られているという当たり前の常識がやっとわかってきた気がする。思春期がやっと終わったのだろうか。言葉は常に変化していくのでどこまで含めるかということは非常に難しい問題。しかし、マリー博士はあくまで古今東西全ての英語を辞書に収めるという方針を貫きます。その結果、完成までに70年かかり、道半ばでマリー博士も亡くなってしまう。
マリー博士はスコットランドの仕立て屋からオックスフォードに採用されるという奇跡のような出来事を起こす。そのため、周りは敵だらけ。そんな中でも、自分を貫く頑固な姿勢に感銘を受けた。夢中になれるものがあるってやっぱり素敵なこと。情熱にはやはり人を動かす力がある。執着することはよくないことと言われることも多い。しかし、何かに夢中になっている人はエネルギーを持っていて、神がかった印象を受けることすらあります。
その強すぎるエネルギーが良くも悪くも周囲に強い影響を与える。結果的に孤立してしまうことなんてざらにあると思います。映画のようにみんなが一つの目標に向かっていくということはなかなか難しいもの。みんな腹に一物持ちながらも、紆余曲折を経て物事が実現させることの方が多いはず。
なぜ、厳しい現実に日々直面しているのに、人は夢を見たがるのか。夢を見れば、現実にぶち当たった時苦しくなるだけではないか。そういう考えもあると思う。それでも私はこの世の中はやはりいいものだと思いたいし、現実に追われて摩耗するのではなく、夢を追いかけたい。
そんなことを思わされた映画だった。
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