『ヘッセの読書術』

ビジネスマンの間で教養ブームの昨今、あちらそちらで副業や生涯学習が叫ばれている。

確かに、副業や生涯学習は賛成だ。それは、自分の視野が広がるからだ。というよりも私が視野を広げることが好きだからだ。

3ヶ月くらい前まで、学術書を買い漁り、積読が二十冊くらい溜まっていた。人間ってなんなんだろうという問いを求めて日夜読書に励んでいる。改めまして、どうも自意識こじらせ大学生です。

今回、「ヘッセの読書術」という本を読んで価値観が激変したかも知れない。

学術書に対する過度な尊敬も、純粋に詩的な作品に対する一方的な賞賛も、どちらも意味がなく、価値のないものである。

 この文を読んだとき、私のことだと思った。知的エリートになれないのに、なろうとしていた自分の愚かさが自分の前にありありと示された。

この上ない恥ずかしさを覚えた。本書は私の自己欺瞞を吊しあげる。

このような自分自身の趣味に対しての不信感や、不安感や、識者と専門家の判断に対する度を越した尊敬は、ほとんどいつでもろくな結果を生まない。100冊の最良の本とか、度を越した尊敬は、ほとんどいつでもろくな結果を生まない。

専門家や自分の好きな作家を過度に尊敬しすぎていたのかも知れない。そう感じた。私という愚かな人間がしていることなのだろうから、いつでもろくな結果は生まないのだろうと直観することができた。

私の理想像が読み進めていくうちに明確なものとなった。

ごく少数の本しか必要としないが、本当に優れた読者はいつの時代にもいた。
書物を読んで自己を形成し、精神的に成長するためには、ただ1つの法則とただ一つの道があるのみである。

この文を読んだとき私は少数の本しか必要としない優れた読者になりたいと思った。多くの本を必要とする愚者にはなりたくない。

友人は薄く広く、たまに深くくらいがちょうどいい。

ヘッセは丁寧にも私のようなこじらせた大学生に対する処方箋を提示してくれている。

それは自分の読んでいるものに敬意をもつこと、理解しようとする忍耐力を持つこと、他者の意見を認め、それを注意深く聞くという謙虚さを持つことである。

耳にタコができるほど聞いたことである。しかし、それを実現するのは誠に難しい。

教養、教養と喧伝されている中、私もその影響を切に受けた。しかし、教養とは何かわからなかったので、割といろんな本を読んだ。ここでは詳細は省く。

ヘッセは教養について、このように述べる。

本当の教養は、本当の体育と同じように、私たちを目的に向かわせる推進力であると同時に目的の実現であり、その努力の途上、私たちはいたるところで目標に到達しており、しかもどこまでも休止することがない。つまり、絶えず進行している状態、宇宙の運動とともに運動していることであり、宇宙とともに時間を超越した世界に生きることである。その目的は、ここの能力と業績を高めることではなく、私たちの生活に一つの意味を与え、過去を解明し、恐怖をもたずに未来を受け入れられる心構えができるように私たちを助けてくれることにあるのだ。

規模感が急に宇宙にまで飛躍したので戸惑う方もおられるだろうが、言わんとすることは理解できるのではないかと思う。私は理解できない。

教養は隣の芝生が青く見える日々の中で生き抜くための自分の軸を形成する数少ない武器だと思っている。自分なりに生活の意味を与えるものなのだ。そして、明日も頑張って生きようと思える源泉なのである。という風に私は解釈をした。

以上が私のヘッセ礼賛の文章である。

文庫 ヘッセの読書術 (草思社文庫)

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